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シャムセ・タブリーズ詩集 · G3 · 22 対句

غزل شمارهٔ ۳

おお、心よ、お前の数多の過ちに対し、あの方の無限の慈悲をどう思うのか。神は我々を罪から引き上げ、聖者のもとへと導こうとするが、我々はしばしばその手を振り払ってしまう。しかし、究極の願いは楽園ではなく、ただ神の御顔を直接拝むことであり、そのためならどんな犠牲も厭わない。

このガザルは、人間の心(魂)とその神聖な愛し手との間の対話を描き出します。詩は、人間の側の多くの過ち(「幾多の不正」)と、神の側の無限の慈悲(「あれほどの誠実」)との間の深い断絶を提示することから始まります(ベイト1-3)。神は魂を甘美にし、聖者(اولیا)の仲間入りをさせるために、絶えず魂を「引き寄せ」(کشش)、「味わわせ」(چشش)ます(ベイト4)。人間が罪を悔い改めるとき、それは神自身が人間を救いへと引き寄せている瞬間なのです(ベイト5-6)。詩は、人生の浮き沈みは、神が駒を転がすように、我々を操っているのだと述べます(ベイト7-9)。後半では、預言者シュアイブの物語を引用し、涙ながらの祈りが天に届き、楽園の約束さえも「神の御顔をはっきりと拝むこと」(دیدار حق عیان)を求める情熱の前では色褪せる様を描写します(ベイト10-18)。最終的に詩は、人間はそれぞれ見合った友を選ぶが、我々は「無」(لا)のために身を滅ぼすのではなく、バヤズィードの逸話が示すように、世俗的な執着を捨てて神のしもべとなるべきだと結論づけます(ベイト19-22)。

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各対句のページで、その翻訳、解説、難解語を読めます。

  1. G3:1 اِی دل چه اندیشیده‌ای در عُذرِ آن تقصیرها؟زان سوی او چندان وَفا زین سوی تو چندین جَفا おお心よ、あの数々の過ちの言い訳に、何を考えているのか。あの方からはあれほどの誠実、こちら側からは幾多の不正。心よ、お前は自分の多くの過ちに対してどんな弁解をしようというのか。神は限りない誠実さを示しているのに、お前は不正ばかりを重ねている。
  2. G3:2 زان سوی او چندان کَرَم زین سو خلاف و بیش و کمزان سوی او چندان نِعَم زین سوی تو چندین خطا あの方からはあれほどの寛大さ、こちら側からは不一致と過不足。あの方からはあれほどの恩寵、こちら側からは幾多の過ち。神はあれほど寛大で、数えきれない恩恵を与えてくれるのに、こちら側はそれに反し、過不足のある行いと過ちを繰り返すばかりだ。
  3. G3:3 زین سوی تو چندین حَسَد چندین خیالُ و ظَنِ بدزان سوی او چندان کِشِش چندان چِشِش چندان عَطا こちら側からは幾多の嫉妬、幾多の妄想と悪しき疑念。あの方からはあれほどの引き寄せ、あれほどの味わい、あれほどの授与。人間側には嫉妬や悪い憶測が満ちているが、神の側からは魂を引き寄せる力、霊的な味わい、そして豊かな恵みが絶えず与えられている。
  4. G3:4 چندین چِشِش از بَهرِ چه؟ تا جانِ تَلخَت خوش شودچندین کِشِش از بَهرِ چه؟ تا دَر رَسی دَر اُولیا 幾多の味わいは何のためか? お前の苦い魂が甘美になるため。幾多の引き寄せは何のためか? お前が聖者らのもとにたどり着くため。神が与える霊的な味わいは、お前の苦い魂を浄化し甘美にするためだ。そして神が魂を引き寄せるのは、お前を聖なる者たちの仲間へと導くためなのだ。
  5. G3:5 از بَد پشیمان می‌شوی الله‌گویان می‌شویآن دَم تو را او می‌کَشَد تا وارَهاند مَر تو را 悪しきことからお前は悔い改め、「アッラー」と唱え始める。その瞬間、彼がお前を引き寄せるのだ、お前を救い出すために。お前が自らの悪行を後悔し、神の名を呼び始めるとき、実はお前を救い出すために、神自身がお前をその状態へと引き寄せているのだ。
  6. G3:6 از جُرم ترسان می‌شوی وَز چاره پُرسان می‌شویآن لحظه ترساننده را با خود نمی‌بینی چرا؟ 罪に怯え、手立てを問い始める。その瞬間、怖れさせている方を、なぜ己のうちに見ないのか。お前は自分の罪を恐れ、どうすればよいかと救いを求める。だがその時、その恐れを引き起こしている張本人(神)が、すぐそばにいることになぜ気づかないのか。
  7. G3:7 گر چَشمِ تو بَربست او، چون مُهره‌ای دَر دستِ اوگاهی بِغَلطانَد چُنین، گاهی ببازَد دَر هوا もし彼がお前の目を閉ざしたなら、お前は彼の御手にある一個の駒。ある時はこう転がされ、またある時は宙に放り投げられる。もし神がお前の目を見えなくしたなら、お前は神の意のままに操られる駒のようなものだ。ある時は地面を転がされ、またある時は空中に投げられるように、運命は神の手に委ねられている。
  8. G3:8 گاهی نَهَد در طَبعِ تو سودای سیم و زَر و زَنگاهی نَهَد دَر جانِ تو نورِ خیالِ مصطفیٰ ある時はお前の性質に、金銀と女への渇望を置く。またある時はお前の魂に、ムスタファーの幻の光を置く。神はある時にはお前の心に世俗的な欲望を植え付け、またある時には預言者ムハンマド(ムスタファー)を想う神聖な光を魂に宿らせる。
  9. G3:9 این سو کِشان سوی خوشان وان سو کَشان با ناخوشانیا بُگذرد یا بِشکَنَد، کَشتی در این گرداب‌ها こちらへは快き者たちの方へと引き、あちらへは不快な者たちと共に引く。この渦の中の船は、通り抜けるか、さもなくば砕け散るか。魂は、ある時は心地よいものへ、またある時は不快なものへと引かれる。人生という渦の中を進む船は、無事に通り抜けるか、砕け散るかのどちらかだ。
  10. G3:10 چندان دعا کن در نَهان، چندان بنال اندر شَبانکز گنبدِ هفت آسمان در گوشِ تو آید صدا 密かにかくも祈り、夜のうちにかくも嘆け。七つの天の円蓋から、お前の耳に声が届くまで。人が見ていないところで熱心に祈り、夜中に心から嘆きなさい。そうすれば、いつか天の高みから、お前の耳に神からの応答の声が届くだろう。
  11. G3:11 بانگِ شُعِیب و ناله‌اش وان اشکِ همچون ژاله‌اشچون شد زِ حد از آسمان آمد سحرگاهش ندا シュアイブの叫びと彼の嘆き、そしてあの雹のような涙。それが度を越した時、天から夜明けに御声が届いた。預言者シュアイブの叫びと嘆き、そして雹のように流した涙が極限に達したとき、ついに夜明けに天から神の御声が彼に届いたのだ。
  12. G3:12 گر مُجرمی بَخشیدمت وَز جُرم آمرزیدمتفردوس خواهی دادمت، خامُش رها کن این دعا 「たとえ罪人であっても、我はお前を赦した。その罪からお前を許した。お前が望むなら楽園を与えよう。静まれ、この祈りをやめよ」と。天からの声は言った。「お前が罪人だとしても、私はお前を赦そう。望むなら楽園も与える。だからもう静かになり、その嘆きの祈りをやめなさい」。
  13. G3:13 گفتا نه این خواهم نه آن، دیدارِ حق خواهَم عَیانگر هَفت بَحر آتَش شَوَد مَن دَر رَوَم بَهرِ لِقا 彼は言った、「これでもなく、あれでもない。私が望むは神の御顔をはっきりと拝むこと。たとえ七つの海が火となろうとも、私はまみえるために飛び込んで行こう」。シュアイブは答えた。「私が欲しいのは楽園ではない。私が望むのは、ただ神の御顔をはっきりと拝むことだけだ。たとえ世界中の海が火に変わろうとも、その لقاء(出会い)のためなら私は飛び込むだろう」。
  14. G3:14 گر راندهِ آن مَنظرَم بَسته اَست از او چَشمِ تَرَممَن دَر جَحیم اولی‌ٰتَرَم جَنَت نَشایَد مَر مَرا 「もし私がその光景から追いやられ、濡れた我が目が閉ざされるなら、私は地獄にいる方がふさわしい。楽園は私には似合わない」。「もし私が神の御顔を拝むことから遠ざけられ、涙に濡れたこの目で見ることが許されないのなら、私には楽園などふさわしくない。むしろ地獄にいる方がましだ」。
  15. G3:15 جنت مرا بی‌رویِ او هم دوزخ‌ست و هم عَدومن سوختم زین رنگ و بو، کو فَرِ اَنوارِ بَقا؟ 私にとって楽園も、彼の御顔なくしては地獄であり、敵である。私はこの色と香りに焼き尽くされた。永遠の光の威光はどこにあるのか。神の御顔が見えないのであれば、楽園でさえも私にとっては地獄であり敵に等しい。私はこの世の儚い色や香りに疲れ果てた。永遠の命の光が放つ威厳はどこにあるのだ。
  16. G3:16 گفتند باری کم گِری تا کم نگردد مُبصِریکه چشم نابینا شود چون بُگذرد از حَد بُکا 人々は言った、「さあ、泣くのを少し控えよ、視力が衰えぬように。泣くことが度を越せば、目は見えなくなってしまうのだから」。周りの人々は彼に言った。「あまり泣きすぎると目が見えなくなってしまう。視力を失わないように、少し泣くのを控えなさい」。
  17. G3:17 گفت اَر دو چَشمم عاقبت خواهند دیدن آن صفتهر جزوِ من چَشمی شود، کِیْ غَم خورَم مَن از عَمیٰ؟ 彼は言った、「もし我が両の目が、終にはあの御姿を見るのであれば、我が身のどの部分も目となろう。どうして私が失明を嘆こうか」。彼は答えた。「もしこの両目が、最後には神の御姿を拝む運命にあるのなら、私の身体のあらゆる部分が目に変わるだろう。そうなれば、たとえ目が見えなくなったとしても、私が嘆き悲しむことなどあろうか」。
  18. G3:18 وَر عاقبت این چَشمِ من مَحروم خواهد ماندنتا کور گردد آن بَصَر کو نیست لایق دوست را 「だが終にこの我が目が、見ることから محرومとなるのであれば、友にふさわしからぬその視力など、盲いてしまうがよい」。「しかし、もしこの目が最後まで神の御顔を拝むことを許されないのであれば、愛する方を見るに値しないそんな視力など、いっそ見えなくなってしまえばいい」。
  19. G3:19 اندر جهان هر آدمی باشد فدایِ یارِ خودیار یکی اَنبانِ خون یار یکی شَمسِ ضیا この世では、どんな人間も己の友の身代わりとなる。ある者の友は血の袋、ある者の友は光明の太陽。この世の人は誰でも、自分が選んだ友のために身を捧げる。ある人は肉体のような儚い友を選び、またある人は太陽のように輝く真実の友(シャムス)を選ぶ。
  20. G3:20 چون هر کسی دَرخوردِ خود یاری گُزید از نیک و بدما را دریغ آید که خود فانی کنیم از بَهرِ «لا» 誰もが善悪の中から、己にふさわしい友を選んだのだから、我々が「無」のために己を滅ぼすのは、惜しまれることだ。誰もが善人であれ悪人であれ、自分に相応しい仲間を選ぶものだ。それならば、我々が「ラー・イラーハ(神は無し)」の「ラー(無)」、つまり虚無のために自分自身を無駄にすることは、実に嘆かわしい。
  21. G3:21 روزی یکی همراه شد با بایزید اَندَر رَهیپس بایزیدش گفت: «چه پیشه گُزیدی اِی دَغا؟» ある日、ある者が道すがら、バヤズィードの連れとなった。するとバヤズィードは彼に言った、「おい、いかさま師よ、お前はどんな仕事を選んだのか」。ある日、一人の男が旅の途中で偉大なスーフィー、バヤズィード・バスターミーと道連れになった。バヤズィードは彼に尋ねた。「おい、お前はどんな生業を立てているのか」。
  22. G3:22 گفتا که «مَن خَربَنده‌ام» پس بایزیدش گفت «رو»یا رَب خَرَش را مرگ دِه تا او شود بنده خدا 彼は言った、「私は驢馬追い(ハルバンダ)です」。するとバヤズィードは言った、「行け。おお主よ、彼の驢馬に死を与えたまえ、彼が神の僕(バンダ)となるように」。男は「私は驢馬追い(ハルバンダ)です」と答えた。それを聞いたバヤズィードは「あっちへ行け」と言い、こう祈った。「おお主よ、どうか彼の驢馬を死なせてください。そうすれば、彼は驢馬の僕ではなく、あなたの真の僕(バンダ)となるでしょう」。

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