シャムセ・タブリーズ詩集› 抒情詩 8 ← 前へ · 次へ →
シャムセ・タブリーズ詩集 · G8 · 8 対句
غزل شمارهٔ ۸
死をも超越した絶対的な存在への、熱狂的な憧れと帰還の願望を歌った詩です。詩人は、その存在を魂を奪い去る「主人」として描き、自らを石臼で砕かれるのを待つ小麦ではなく、月光そのものであると宣言します。沈黙のうちに、魂がその根源へと還っていく神秘的な旅路が語られます。
このガザルは、死という出来事を、愛する者(神)による魂の解放として捉え直す、スーフィー的なエクスタシーに満ちています。詩人は冒頭で、死神(アジャル)からすら全てを奪い去る力を持つ「彼」を讃え、その到来を「ようこそ」と歓迎します(ベイト1)。この出会いは、魂を天界(ガルドゥーン)を超え、様態のない(ビーチューン)世界へと踊りながら向かわせるものです(ベイト2)。愛する者は、星々を一つずつ奪う月、あるいは乳飲み子を連れ去り乳母をも引き寄せる力として比喩されます(ベイト3)。詩人は、重荷を背負うこの世の心から自らを解放してほしいと懇願します(ベイト4)。しかし、詩の後半で大きな転換が起こります。詩人は、死を恐れて老いる自分を、石臼で挽かれるのを待つ小麦に喩えながらも、自らは小麦ではないと否定します(ベイト5)。自分は穂から生まれたのではなく、月(マフ)から生まれたのだから、なぜ石臼にいなければならないのか、と問いかけます(ベイト6)。そして、石臼に差し込む月光のように、自分もまた月へと還るのであり、パン屋の店先(=物質世界)に留まる存在ではないと悟るのです(ベイト7)。最後のベイトでは、この神秘的な体験は理性では語り尽くせないため、沈黙するしかないと結ばれます(ベイト8)。
各対句のページで、その翻訳、解説、難解語を読めます。
- G8:1 جز وی چه باشد کز اجل اندر رباید کل ماصد جان برافشانم بر او گویم هنییا مرحبا 彼をおいて誰があろう、死神から我らの全てを奪い去る者は百の魂を彼に捧げん、「おめでとう、ようこそ」と告げながら絶対的な存在である彼だけが、定めの死からすら私たちの全てを救い出すことができる。だから私は、喜んで百の魂を彼に捧げ、その到来を祝福し歓迎しよう。
- G8:2 رقصان سوی گردون شوم زان جا سوی بیچون شومصبر و قرارم بردهای ای میزبان زوتر بیا 踊りながら天界へ、そこから様態なき世界へと赴こう我が忍耐と平静を奪いし主人よ、疾く来たれあなたのせいで私は平静を失った。だから、私は喜びの舞を踊りながら天の高みへ、そして形や様子のない根源の世界へと向かおう。主人よ、どうか早く来てほしい。
- G8:3 از مه ستاره میبری تو پاره پاره میبریگه شیرخواره میبری گه میکشانی دایه را あなたは月から星々を奪い、ばらばらに奪い去るある時は乳飲み子を奪い、ある時は乳母を引き寄せるあなたの力は絶対的で、月(=聖者)から星々(=弟子たち)を引き離すことも、赤子(=未熟な魂)を連れ去り、その世話役(=導き手)さえも引き寄せてしまう。
- G8:4 دارم دلی همچون جهان تا میکشد کوه گرانمن که کشم که کی کشم زین کاهدان واخر مرا 世界のごとき心を持つ、重き山々を運ぶほどに私がいつまで運べようか? この藁屑の山から私を買い取ってくれ私の心は、この世の重荷を山のように背負っている。もうこれ以上、私が運び続けることなどできようか。どうか、この無価値な物質世界(藁屑の山)から私を解放してください。
- G8:5 گر موی من چون شیر شد از شوق مردن پیر شدمن آردم گندم نیام، چون آمدم در آسیا؟ 我が髪が乳のごとく白くなったのは、死への憧れに老いたから私は小麦ではない、粉挽きになるのだ。なぜ石臼の中に来たのだろう?私の髪が白くなったのは、単なる老化ではなく、あなたとの合一である死を待ち望むあまりだ。私は挽かれるべき小麦ではなく、本来は粉を挽く側のはず。なぜ、この苦難の石臼(=肉体、この世)にいるのだろうか。
- G8:6 در آسیا گندم رود کز سنبله زادهست اوزاده مهم نی سنبله، در آسیا باشم چرا؟ 石臼に行くのは小麦、穂から生まれたもの私は月から生まれた、穂ではない。なぜ石臼にいようか?石臼で挽かれるのは、大地に属する穂から生まれた小麦だけだ。しかし、私の根源は天上の月(=霊的世界)にある。ならば、なぜ地上の苦難である石臼の中にいる必要があるだろうか。
- G8:7 نی نی فتد در آسیا هم نور مه از روزنیزان جا به سوی مه رود نی در دکان نانبا いやいや、石臼の中にも月の光は窓から差し込むそこから月へと還るのであり、パン屋の店先に行くのではないいや、考え直してみよう。たとえこの苦難の石臼(肉体)の中にいても、天窓から月の光(神の恩寵)は差し込む。魂はその光をたどって月(根源)へと還るのであり、パン屋(物質世界の結果)に留まることはないのだ。
- G8:8 با عقل خود گر جفتمی من گفتنیها گفتمیخاموش کن تا نشنود این قصه را باد هوا もし我が理性と共にあるならば、語るべきことを語っただろうに沈黙せよ、この物語を空吹く風が聞かぬようにもし私が通常の理性の状態にあったなら、この神秘体験を言葉で説明できたかもしれない。しかし、これは理性を超えたことなのだから、沈黙するしかない。この尊い秘密が、無理解な世間の噂(風)に聞かれないように。
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